梅雨の素晴らしさを述べます。

この季節になるといつも心が高ぶります。

梅雨というとじめじめした不快な季節のようなネガティブなイメージもあると思いますが、僕の中ではなんだか気持ちを一度リセットしてくれるよな、何か考えること、ぼーっとすることに集中させてくれるよな、かけがえのない時期です。

昔から雨の音と匂いがとにかく好きで、いいカフェの基準は’’雨の日の雨音が素晴らしいか否か。’’でした。(ただ、雨のせいで生乾きになった洗濯物ほど嫌いなものはありません)

トタン屋根であったり、庭のようなものが近くにあるとより鮮明に雨っぽさが感じられ、そこにまた雨音の弾ける音も痺れます。

雨水が葉に落ちるか、木に落ちるか、アスファルトに落ちるか、素材によって音が違い、そこから得られる感覚も全く違うものです。

雨が踊っているというような表現がありますが、まさに言葉の通り、冬眠から放たれた開放感のような若さというか何か初々しいものを感じます。

花においては紫陽花の成長過程を楽しむことができ、お稽古に行くたびにワクワクしております。

紫陽花にも何百種類の紫陽花があり、一つ一つ顔ぶれが違うので飽きさせてくれません。

時に青色のものは見るだけで気持ちが穏やかになります。みなさん、怒ったら青い紫陽花見ましょう。

農業においては古くから稲作をする上で欠かせない季節であり、梅雨があってこその日本の稲作文化であります。

西洋では土地が乾いているから小麦、東洋では湿っぽいから米。と大昔から受け継がれてきたものがありますが、近年ではそのような伝統も何かいい意味で壊されているようにも思えます

江戸時代の俳人、松尾芭蕉はこんな句を今世に残しています。

「紫陽花や 帷子時(かたびらとき)の 薄浅黄(うすあさぎ)」


帷子とは夏用の衣を指して、 「紫陽花が咲き、今年も帷子を着る季節がやってきた。ちょうど紫陽花も帷子も同じ薄浅黄色をしている」という意味の俳句。

江戸時代にも、現代と同じように人々が梅雨から初夏の訪れを、花や衣服を通じて日々感じていたことを、私たちに教えてくれます。

ヒョエー!!かっこえー!!!















ネガティブをポジティブに変えることはかなりの労力が必要とは思いますが、それはサイヤ人が死にかけたらより強くなるようなことと同義ではないかと思うのです。。。
























CHAN