三重県鈴鹿市
金沢木制作所
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金沢 健幸 幸子 さん
第8回目です。
鈴鹿市にお住まいの金沢夫妻に会いにゆきました。
まずは金沢さん(健幸さん)の紹介。
大工として働きながら木版画、の仕事もしている彼は今は鈴鹿に拠点を構えながら、三重県を中心に京都などでもお仕事をされております。
そして板木の紹介。
丸太を製材して3年以上自然乾燥させた板を手鉋で平滑に削り仕上げ、
木版画用の板木を作ります。
木版画(主に浮世絵版画)には山桜の板、
唐紙(主に手摺り木版の襖紙)には朴木の板を使います。
そのほか茶室の扁額、看板、表札など板を彫る仕事をしています。
(HPより引用)
そして版画。
木に関わるさまざまな仕事をしていくなかで木版画制作をはじめました。
彫りから摺りまで自身で制作をしています。
木版画作品の依頼や美術館、ギャラリーショップの便箋封筒を制作させていただいております。
(H Pより引用)
木版画を始めて12、13年目になる金沢さん。
彼の師匠は元々四日市に住んでいて、のちに京都で作家活動を始めました。
その後金沢さんも京都に大工の仕事のステップアップのために移り住み、数少なくなる版木職人になる決意をしました。
その後も浮世絵の世界に魅了され続けてより深く探求したといいます。
この時に金沢さんが言っていたのは、ものをものとしてしか見ていない自分がいた。と。
確かに、、と思いながら’’ちゃんと見る’’ことの大事さを再認識しました。
yunouの撮影では多くの人がこう言う機会があるように感じます。
ちゃんと見るってなんだ?
そして、2足の草鞋を履きながら活動する金沢さんは、片方を深く知るようになると、もう片方にも良い影響になるとおっしゃいました。
木版画を掘り下げると、建築の仕事も豊かになったそう。
’’このような建築は建築じゃない’’のような固執した考えがあった20代の時。
今となっては考えが彫り固まっていたと言う金沢さんの横で僕の心はピクっと動いてました。。(ギクッ、僕の考えも固執してるなぁと思える時が多い。。。。。。)
ちなみに金沢さんが京都に移り住んだ時に決めていたことがあって、
必ず1代目のところで働く。と決めていたそうです。
2代目3代目を悪く言うのではなく、1代目にしかないエネルギーがあると言っており、
あぁ、その考えはなかったなぁと考えてました。
(そういえば僕も一応1代目だ。。。。。w)
そして、その当時の金沢さんの社長がめちゃめちゃ怖かったらしく、それが今となっては大きな糧になったと笑いながらおっしゃってました。
でもこのような職場は今はどれだけあるんでしょう。
僕も理不尽の塊のような職場でも働いていたからこの気持ちはとてもわかります。
それを愛と捉えるか、厳しさと捉えるか、理不尽と捉えるか。
結局は自分で選んだものなので、責任は自分にあるように思えます。
それを人のせいにしたり、何かのせいにしたり、逃げる道を探すことばかりしていてはまた次でも同じことを繰り返す。
これ、誰かが本で言ってました。
本当にそうだな。と。
僕も当時はそんな気持ちでフラフラしていた時もあったなぁ〜と昔を回想してました。
話がずれましたが、木版画の話。
僕はかなり未知の世界でした。
木版画。わかりやすく言うと、木の板を掘ってそれに色を付けて、紙に写す。ハンコのようなイメージです。
失礼ながら最近までこの世界を全く知りませんでした。
当時プリンターなどなかった時代に発明されたこの木版画は印刷技術を躍進させたと言います。
そして金沢さんに実際に木版画を掘っていただきました。
木版画の修行はまず、版木に字を掘るところから始めます。
ものすごく細かい、、、、、、、!!!!!!!
凄すぎて、僕は見てるだけで脳がやられそうになりました!
つづく