三重県いなべ市
きこり、パーマカルチャーデザイナー
田端 昇さん (タバタ ノボル)
第二回目。
昇くんと菜食業界のことを話す中で、
今ではこうしてヴィーガンやベジタリアンという言葉が広がる中で、現代の社会より、昔はより宗教的でお堅い世界だったと言います。
これは僕が日本に帰ってきてからもずっと悩んでいることで、まだ菜食に対して思想の強すぎる人が 多い分、それを敵対視することも少なからずあるなぁ。。と思ったりもします。
考えると自分もそうでした。
なぜわかってくれないんだ。なんでそうなるんだ。と自分の思い通りにならないことに苛ついたり、悩むことも山ほどありましたが、それは自分がただ伝え方がわかってないだであって。
考えを尖らせる時期も、自分を形成することにとても大事だけどその後どう考えるか。が大事だなと昇くんと話していて思いました。
その後、月の庭を離れた昇くんは、より素材の現場に近づきたいという思いから色々職を探し、最終的に林業を選択。
林業も離職率高くて相当厳しい世界であったと言いますが、昇くんはずっと林業を続けた。
ただ木を切る、『伐採』だけしていては、山を『育てる』というところまで届かない。
当時国策のように行われていたスピード重視の木の伐採をし続けることも仕事の一つで、思いがある人は心折れて離職していく人もかなり多かったらしい。
今回、僕も初めて”林業’’を生業としている人と話したので、林業って何??の状態で昇くんに会いに行きました。
林業とはわかりやすく言うと、国が持つ国有林、それらを間伐、植林、販売(出荷)することが主な仕事になります。
ただ昇くんの視点からは’’造林’’、’’育林’’をしないと林業としては成り立たない。
木を切るだけと言うことは農業で言うと、ただ野菜収穫しているだけ。のような感覚だと言います。
今では公共事業などでたくさんの建造物ができてます。
日本では江戸時代ごろまでは’’循環’’が生きていた。
石壁の後ろには藁を敷き込んだり、道もきちんと水や空気が通るように自然素材を敷いて工夫をしたり。
僕も昇くんと話すまでは認識が薄いこともあり、ただ例えばコンクリートでピシッと整っているのが良いと思っていました。
無知とは恐ろしい。
自然に近い考えに近くなればなるほど’’時間’’という概念を除きながらモノづくりをしていきたいと思った。
パーマカルチャーのお話は次回に詳しく。
つづく