こんばんは。
たまには料理から外れたテーマを。
今日は筋トレについて語りたいと思います。
僕が筋トレを始めたのは大阪での修行時代の時。
朝から晩まで働いた後に深夜に職場の先輩とジムに行っていたあの体力はどこから出ていたのか未だにわかりません。
ただあの時は少なくて月1回、多くて週1回のペースだったので、気晴らしのようなものであったのかもしれないです。
当時、ジムに通っていた理由は大阪という都会でジムに通うスポーティでファッショナブルなお姉さんを見るためであったことは否定はしません。
それから月日が流れ、オーストラリアに留学していた頃、多くの人種の違う価値観を持った人々と接する機会がたくさんありました。
その中でアジア人はやはり西洋人から下に見られていると思うことがよくあり、どうすれば対等に、そういった意識が芽生えることなく過ごすことができるのかと日々、悶々としておりました。
もちろん、あくまでこれは僕の意見であり、必ずしもそうであるわけではないです。
恥ずかしながら僕にも東南アジア人や中国人を下に見るような気持ちが無いとも言い切れません。それがどのように培われたのかは自分でもわかりませんが、僕ら日本人にも心のどこかにはそういった感覚が人それぞれあるのかもしれません。
これらは差別とか偏見という言葉に当てはまるのと思いますが、僕にはもっと深い、何か暗いものがあるようにしてなりません。
さて、こうしたことから僕の心には何か見た目で西洋人に勝てるものは無いか。という思いが芽生え始め、僕にとっての答えが’’筋トレ’’だったわけです。
端的にいうとモテたいという理由でしたね。正直に言いますと。
オーストラリアで数年ぶりに再開したジム通いは、忘れられ難いものになりました。
ジムの中には怪物たくさん。
これは道のりは長いぞ、、、、と思っていたのでした。
ただ、仕事も週4日で隙間時間がたくさんあったので、定期的に通うことができ、そこで継続性もつきました。
日々通う続けていくうちに自分の体にも変化が見られ、ひょろひょろ日本人とは言えないかな?くらいの体まで鍛えることができました。
ある程度まで体を鍛え、自分で納得できるようになると、今度はそれを維持したいという欲と、より上を目指したいという向上心のようなものが芽生えます。
ここまで行けばもうジムにいくのがめんどくさいとかそういった類の心配はいりません。
=一種の習慣になったことの証。
歯を磨く、体を洗う、筋トレする、睡眠をとる、食事をする。というようにいつのまにか日々のルーティーンに組み込まれていることに気づきます。
ジム通いを始める前まではこんなに忙しいのに、そんな余裕は無いと思うかもしれませんが、続けて見るとそれに合わせ、日々の生き方に効率性を生み出したり、考えるように生きるようになって、結果としていい方向に向かってきたと感じるようになりました。
今では生活の一部になっていて、やめようとも思いません。(みなさん歯磨きはやめやいでしょう?それと同じ感覚です)
昔から父に『継続は力なり』と教わり、フットボール界のレジェンド、ロベルト・バッジョは『僕が知っているドーピングはただひとつ。努力だけだ。』と言いました。
やった人にしかわからない感覚というものは言葉では伝えきれないものがあります。
今の世界はネットが流通し、多くの情報が五感を使って得られますが、『経験』や『感覚』といったものはやはり肌で味わってこそだと思うのです。
これからどのような考えになるのかはわかりませんが、全てがテクノロジーに支配されては欲しく無いと思うこの頃です。
CHAN