思うこと

僕が生まれたのは1993年。

その頃にはすでに数えきれんばかりの飲食店と多くの物に

溢れかえっていた時代であったと言います。 

当然のごとく、僕らの世代は外食といえばチェーン店に行き、

個人で商売をされているお店や、(主観的な考えですが)’’志’’を持った個人店食べに行く。

という行為は、もはやお金持ちの人がすることのように見られていたように感じられます。

学校で時間割の中に算数や国語はあっても’’食’’の時間はありません。

家庭科の中の一コマでしかありません。

さらにそれは’’家庭科の先生’’が教えている。

それは’’食’’の先生なのでしょうか。

きちんとそれを教えることができる人が各学校に一人でもいれば

未来は明るくなると僕は思います。

以前、10年ぶりくらいにフードコートに行ったときに思ったことがあります。

20時ごろでしたが、子供同士でラーメンを食べ、親はひたすら携帯のSNSを見ている。

マクドナルドの前には行列ができ、食べ残しはそのままテーブルにおいて帰る子供。

4人家族で一つのテーブルの上に、ピザとうどんと餃子と長崎チャンポンと

アイスクリームが揃った、かなりカオスなテーブルも目撃しました。

こういった行為はみなさんはどう捉えますか。

僕はこれは学校や親、広くいえば社会の責任であると考えています。

でも、それは教え方がわからないのと教える人がいないからなのではないでしょうか。

ちなみに僕の通っていた『料理の専門学校』で

教えられたことは技術と知識が大半でした。

裏側なんて聞いた覚えがありません。

それはもしかしたら’’食の先生’’も知らないのかもしれません。

食はビジネスにするほど淘汰されやすい。

高級食材をふんだんに使って高級価格帯の料理を作り、

お金持ちの脳みそを満足させるのもそろそろ終わりにしませんか、、、

日本(世界)にはものすごい技術を持った料理人がたくさんいるのに

そこにばかり注力していてはもったいないように思えるのです。

フォワグラを使うのもいいです。松坂牛もいいです。

でも扱うからにはその生産過程を自分の目で見て、地球にどのような影響を与え、

どうなっていくのかを考え、本当にそれらを使用することが良いのか悪いのか

自分で判断した上で使用するか否かを決めないといけません。

このことに疑問符を浮かべ始めたのはここ数年前からの話ですので、

数十年前から活動をされている偉大なる先輩方には到底届きませんが、

僕は僕なりの食の伝え方でこれからも活動していきたいと思います。

CHAN